酒道さんの言われるようにこの本の主人公は“たか女”でしょう。
物語も一応、直弼を軸にして、歴史の流れに沿って
展開していますが、作者は彼女に主役の座を与えています。
“たか女”を中心として、日本開国の騒乱と共に物語は進む。
妖しい魅力に魅了され、彼女と関係をもつ男達。
彼女の魅力はP114(上)から、「たか女は、場所と時に応じて、
あざやかな変転を心得ていた。
三味線を取れば、師となり、箕箒をとれば、卑妾となり、闇にあれば、
娼ともなった。而して、屈する色なく、臆する辞なく、思うがままに自由にふるま
うのだから、直弼としても、しかめつらしい顔をしてはいられない。…・」云々の
表現に見事に現されています。
(文字の説明。箕箒(きそう)とはちりとりとほうきのこと、炊事、掃除、
洗濯など家事万能を意味する。)
又、P65には、
「たか女は謎の女じゃ、そこにはまた、魅惑もある。」
男にとって、才色兼備で謎めいていれば、クモの巣に絡め取られた蝶と同じで身動きができなくなってしまう。
直弼は一応、距離を置いているが、心中には未練があり、主膳との仲も険悪に
なるが、立場上、寛容なところを見せる。
主膳や多田は彼女の魔力から逃げることはできない。麻薬と同じで辞めようと
思うが、目の前にそれがあるとつい手がでてしまう。
多田にいたっては、可愛さあまって憎さ百倍で追っかけまわす。今でも、
ストーカー騒ぎがあるから、今も昔も変わらない。
翻って、“たか女”の身になって考えると、
女を武器に男を手玉に取って、その時、その時に男から男へと身をまかせる。
彼女の心境を吐露すれば、P292に
「主膳のことが思い切れない。直弼への未練もある。然し又、多田にも惹かれる。
強い拒絶のうしろからどうせ一度、彼の自由になったからは、このままではすま
せないと膠着する心理もある。」
彼女の生き様は、多分、女一人で生きていくには辛い、側に自分を愛してくれる人
がいれば、その人について行こうという心情ではないでしょうか。
*登場人物
志津 多紀
佐登(里和)長野主膳
↓
↑
井伊直弼
← たか女
| (村山たか)
昌子
(加寿江)
=
多田一郎時貞
帯刀


明日から三月、もう春はそこまで来ています。
花屋さんの店先に菜の花があるのが目に留まり、与謝蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の句と同時にTVの「菜の花の沖」で、嘉兵衛があたり一面の黄色の菜の花を歩いている場面を思い出しました。
が、今は「花の生涯」です。
“心の絃”に又さんが詳しい資料を掲載されている「桜田門外の変」についての疑問です。
万延元年三月三日、桜田門外で襲撃されました。
直弼は大老職につき通商条約、将軍の跡継ぎ問題と大きな仕事をやり遂げました。
しかし、この過程で多くの敵を作りました。
多くの敵がいる事を認識していて、松平信斉が「水藩激派の一部が、三々五々、江戸へ忍び入ったとの…・」との報告を受けるなど事前にテロの情報を持ちながら通常の警備体制で登城しています。
今の日本と同じで“危機管理”が全くなっていません。
襲われる危険があるならば、何故、主膳等がもっと強力な防禦体制を取らなかったのか疑問です。
直弼は“安政の大獄”で100人もの人々を粛清しました。その罪の意識で暴徒のなすがままに死んでいったのか、それとも過激派の実力を侮っていたのか。
暴徒に対して一矢も報いずに、むざむざ殺されたのは「花の生涯」にしては、散り際が寂しい気がしました。
又、60人の一隊が、18人の浪士に襲撃され、首級まで挙げられるとは、警備のレベルがよほど低かったのではと想像します。
などなど、三月三日が近づくにつれて、つまらない考えに囚われる私です。
若し、彼が死んでいなかったら時代はどのように変わっていただろうか?
伸さんが大島蓼太について書かれていますが、
「世の中は三日見ぬ間に桜かな」が彼の作品とは知りませんでした。
もうすぐ桜の季節、季節同様世の中もめぐるましく廻っています。

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