By Martin Luther
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Four score and seven years
ago our fathers brought forth on this continent a new nation, conceived in
liberty and dedicated to the proposition that all men are created equal.
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人生 気がつけは、年を取った。オレの人生、これでいいのかー。 「50にして49年の非を知る」(荘子"中国・宋の思想家) 間違い、迷いがない人生なんてない。
「若い生活をしている者は若い、老いた生活をし ている者は老いている」(井上靖"小説家) 要は気の持ちようだ。
「いかに長く生きたかではなく、いかに良く生きたかが問題である」 (セネ力H前出) 「流れのままにいれば、どんな弱い人でも港に流れ着く」 (セルバンテス"スペインの小説家) もっと気楽に肩の力を抜いていけばいいのだ。 |
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「日々に新たに 又 日に新たなり」と読みます。 日毎にその徳を増進していくこと。 典拠は大学で湯之盤の銘に「筍日新、日々新、又日新」とあります。 一方で絶えず更新して、現状を超える努力をかさねていかなければなりません。
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草枕より抜粋 山路を登りながら、こう考えた。 智に働けば角が立つ。 情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。 とかくこの世は住みにくい。 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。 どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。 やはり向こう三軒両隣りにちらちらする唯の人である。 唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。 あれば人でなしの国へ行くばかりだ。 人でなしの国は人の世の国よりも猶住みにくかろう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、 寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。 ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。 あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
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一期ハ夢ノ如ク、 電光ノ如ク露ノ如シ。 百年ノ齢(よわい)モ、 只一夜ノ眠リノ如シ 養生訓/江戸時代の儒者/貝原益軒 老後は、若き時より、 月日の早きこと十倍なれば、 一日を十日とし、 十日を百日とし、 一月をい一年とし、 喜楽して、 あだに日をくらすべからず |
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奥の細道 松尾芭蕉 月日は百代の過客にして行かふ年も又旅人也。 舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は日旅にして旅を栖とす。 古人も多く旅に死せるあり。 予もいづれの年よりか片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず、海濱にさすらへ、 去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひてやゝ年も暮、 春立る霞の空に白川の関こえんと、そゞろ神の物につきて心をくるはせ、 道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、 三里に灸すゆるより、松嶋の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、 杉風が別墅に移るに、 面八句を庵の柱に懸置。 A man of sixty has spent 20 years in bed and over 3 years in eating Enoch Arnold Bennett 六十歳の人は二十年はベッドに、そして三年以上は食事に費やしたことになる |
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「神は自分が持ち上げることのできない石をつくれるか?} もし、作れるとしたら、彼にも持ち上げることのできない石が存在することになり 彼は全能でないから神ではない。 もし、作れないとしたら、彼は全能でないからやはり神ではない。 |
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酒も呑まず、色恋もせず、養生を専一にして百まで生きたバカがいる。
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第 百八十八 段 (その1) 或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、 説教などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のままに、 説教師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。 輿(こし)・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など 迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべし と思ひけり。 次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、 法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌 (さうか)といふことを習ひけり。 二つのわざ、やうやう 境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜(たしな)み けるほどに、説教習ふべき隙なくて、年寄りにけり。
この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。 若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、 能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心 には懸けながら、世を長閑(のどか)に思ひて打ち怠りつつ、 先づ、差し当りたる、目の前の事にのみ紛れて、月日を送れ ば、事々成す事なくして、身は老いぬ。 終(つひ)に、物 の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども 取り返さるる齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。
されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、い づれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その 外は思ひ捨てて、一事を励むべし。 一日の中、一時の中に も、数多(あまた)の事の来らん中に、少しも益の勝らん事 を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。 何方(いづかた)をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。
例えば、碁を打つ人、一手も徒(いたづ)らにせず、人に 先立ちて、小を捨て大に就くが如し。 それにとりて、三つ の石を捨てて、十の石に就くことは易し。 十を捨てて、十 一に就くことは難し。 一つなりとも勝らん方へこそ就くべ きを、十まで成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には 換へ難し。 これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、 かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。 (1/2・全文) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
● 訳 ○ ある者が、子を法師にして、「仏教を勉強して因果応報の 道理を知り、説教などをして生計を立てる手段ともしなさい」 と言うと、その教えのとおりに、説教師になるために、まず、 馬に乗ることを習った。 輿や牛車を持たない身分で、導師 として招かれたような時、馬などを迎えによこされて、乗馬 が下手で落馬してしまうようでは、情けないことであろうと 思ったのである。 次に、仏事の後、(檀那が)酒などを勧 める事もあるだろうけれど、法師がまったく芸がないのでは、 檀那が興ざめに思うだろうと、早歌というものを習った。 二つの芸が、しだいに熟達の境地に達したので、ますますよ く技芸を身につけて準備を整えたころに、説教を習う暇がな くて、年老いてしまった。 この法師だけでなく、世間の人に、ひろく、この事がある。 若いころは、いろいろな物事について身を立て、大きな専門 の業をなしとげ、芸能をも身につけ、学問をもしようと、長 い将来にわたって、計画することの数々を心中にもっている ものの、自分の一生をのんびりしたものと思って努力を怠り ながら、まず差し当たっている、目の前の事にのみ紛れて、 月日を送れば、どのことも達成することがなくて、わが身は 老いこんでしまう。 結局、一つの道の上手にもならず、思っ ていたようによい暮らしをも持てず、悔いても取り返すこと のできる年齢でもないので、あとは走りながら坂を下ってい く車のような勢いで衰えていく。 したがって、一生の中で、大事だと望んでいる事のうちに、 どれが最も大事なものかとよく思い比べて、第一のことを考 え決めて、その他のことは思い捨てて、一つの事を励むべき である。 一日のうち、一時のうちにも、数多くの事がやっ てくる中で、少しでも益が勝るような事を行なって、その他 のことは打ち捨てて、大事を急ぐべきである。 どちらも捨 てないと心で執着していると、一つの事も成し遂げることは できない。 例えば、碁を打つ人は、一手も無駄にせず、人より先に、 小を捨てて大きいところを打つようなものである。 それに ついて、三つの石を捨てて、十の石を取ることは易しい。 十を捨てて、十一を取るのは難しい。 一つでも勝る方を取 るべきところを、十くらいまでになると、捨てるのは惜しい と思って、それをより多く勝る石に取りかえるのは難しい。 これをも捨てない、あちらをも取りたいと思う心に、あちら をも得ず、こちらをも失う道がある。
※ 早歌(そうか)… 鎌倉期から室町期にかけて流行した謡 い物。 宴席でも謡われたので、近世に 入ってから、宴曲とも言われた。
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第 二百十一 段 万(よろづ)の事は頼むべからず。 愚かなる人は、深く物を頼む故に、恨み、怒る事あり。 勢ひありとて、頼むべからず。 こはき者先づ滅ぶ。 財(たから)多しとて、頼むべからず。 時の間に失ひ易し。 才(ざえ)ありとて、頼むべからず。 孔子も時に遇(あ)はず。 徳ありとて、頼むべからず。 顔回も不幸なりき。 君の寵(ちよう)をも頼むべからず。 誅(ちう)を受くる事速かなり。 奴(やつこ)従へりとて、頼むべからず。 背(そむ)き走る事あり。 人の志をも頼むべからず。 必ず変ず。 約をも頼むべからず。 信ある事少し。 身をも人をも頼まざれば、是なる時は喜び、非なる時は恨みず。 左右(さう)広ければ、障(さは)らず、前後遠ければ、塞がらず。 狭き時は拉(ひし)げ砕(くだ)く。 心を用ゐる事少しきにして厳しき時は、物に逆ひ、争ひて破る。 緩くして柔らかなる時は、一毛(いちまう)も損せず。 人は天地の霊なり。 天地は限る所なし。 人の性(しやう)、何ぞ異ならん。 寛大にして極まらざる時は、喜怒これに障らずして、 物のために煩(わづら)はず。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ● 訳 ○ あらゆる事はあてにできない。 愚かな人は深く物を信頼 するため、恨み、怒る事がある。 権力があってもあてにで きない。 強い者は、まっさきに滅びる。 財産があっても、 あてにできない。 あっという間になくなりやすい。 才能 があっても、あてにできない。 孔子も機会に恵まれず、世 に用いられなかった。 徳があっても、あてにできない。 顔回も不幸であった。 主君の寵愛も、あてにできない。 主君の怒りに逢えば、たちまち罪を背負って殺されることも ある。 下僕が忠実に従っていても、あてにできない。 裏 切って敵方につくことがある。 人の好意もあてにできない。 必ず変わる。 約束もあてにできない。 守られることは少 ない。 自分の身の上も、他人の身の上も、あてにしなければ、う まくいった時は喜び、うまくいかない時は恨まない。 左右 が広ければ、ぶつからず、前後が遠ければ、ふさがらない。 狭い時は、つぶれたり、砕けたりする。 心をくばる事が少 なくて余裕のないときは、物に逆らい、他人と争って、自分 が傷つく。 ゆったりとして、やわらかいときは、身体の一 毛さえも傷めない。 人は天地の間の霊妙なものである。 天地には限りがない。 人間の本性もどうして異なることがあろうか。 ゆったりと しておおらかでどこまでも開かれているとき、たとえ喜びや 悲しみがあっても、この広大な本性の妨げにならず、物のた めに苦しみ悩むことがない。 *顔回(がんかい) …孔子の第一の弟子。 天命を楽しみ、徳行をもって知られ た。 が、三十二歳で、孔子に先立って若死した。 |