「少年H」、読後感想 2001/7/7
「少年H」がフィクションかノンフィクションかと問われれば
私にはフィクションと答えます。
どちらにしろ、この本はH少年が家族、友人、親戚、近所の人達と
自分の住んでいる神戸という街を場所として、戦争という過酷な出来事を通じて、
どのようにして幼年から少年と成長していったのか
ドキュメンタリー風にまとめたものです。
子供は誰でも自分一人で成長したと思っています。
そうではありません、
又さんの処のツバメではありませんが、お父さん、お母さんが
一生懸命子供の面倒を看ています。
H少年も、彼の母や父がキリスト教を拠り所として生きているのに
理解しながらも、どちらかというと反発しています。
しかし、いつも心の何処かに親の愛情を感じ、感謝の気持を忘れてはいません。
(私も両親に感謝の気持を持つようになったのは、
そう遠い昔ではありません。)
彼にとって、この辛い時代を乗切れたのは両親の愛情と周囲の暖かい
人間関係に加えて、「絵を描く」ことが好きだったからです。
多分、この才能というか趣味というか、「絵を描く」ことによって
苦しい時も悲しい時も又、楽しい時も彼が生きていく支えになっています。
これがなければ、彼の人生は途中で挫折していたかもしれません。
この本を読んでいて一番共感を覚えたところは、
彼が映画を好きだったことです。
私も子供の頃から映画が好きで、今でも大好きです。
昔の映画館は木の椅子で、画面も白黒でいつもチラチラと雨が降っていましたが
「鞍馬天狗」「白馬童子」「笛吹き童子」など見たことを
懐かしく思い出します。
特に「ゴジラ」の第一作目も見た時の感動は今でも忘れられません。
学校の講堂でも上映されるのも楽しみの一つでした。
と回顧に浸っているときりがありませんが。
この本はつらい、厳しい時代の回顧ですから、
ややもすると暗い内容になってしまいがちなのに、
作者は子供にも読んでもらう意図があるせいか、
どの章を見ても、緊迫したギリギリの文中でもどこか
ほっとする文章があり、深刻な気持にならず、
さらりと読むことが出来ました。
例えば、P131の焼夷弾の降る場面で、
>母親が裏庭に立っていて、「消したわ。訓練と同じや!」と
>自慢げにいった。
のように、悲しい、辛い、厳しい中にも、どこかホッとする
文があるので、読むほうもホッとします。
まとめると、
この本を読めば、誰でも共感する文章が何処かにあります。
苦しい生活環境にあっても、理解有る優しい両親と妹。
(両親に比べて、妹に関する情報が少ないように思います。)
人間誰も、一人では生きていけません、家族、友人、仲間とか
共同体があって生きて行けるのだと、普段は考えることが
ないのですが、この本を読んで再認識しました。
この読書会も小さなcommunityです。本を読むという
共通の目的で手と手を取合っていけることは素晴らしいことです。
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