読後感2
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文章の面白さ

 

文章の面白さ 2001年1月6日

「菜の花の沖」の作者、司馬先生は歴史考証では定評のある作者です。

それと同時に文章の表現が大変上手だと思います。

ストリーが面白いのは当然ですが、
そのうえ文に独特の表現があり それが登場人物に生き生きとした感じを与えています。

たくさん有りますが、記憶に新しい6巻より抜書きしました。 ""で囲んだ部分がそうです。

@「もっとも、この期になって嘉兵衛が長思案したわけでなく 一瞬これだけの思いが"体を  吹き抜けたにすぎない。"身が軽く なった。」(P38)

 A「嘉兵衛はリコルドの喋ることばをききつづけた。 このロシア人の唇から"ころがり出るふ  しぎな日本語の単語は うかうかするとシャボン玉のように空に消えてしまう"」(P65)

B「日本だけが鎖国していても、"結局押入れに頭を突っ込んで 尻だけを世界中に曝して いるようなものではないか、日本の尻は みな西洋人にわかってしまっている。"」(P100)

 C「リコルドはゴローニンについての発音を幾種類も変えて 叫んでいるうちに、嘉兵衛    は"夜があけたような表情"になった。

  「あっ、ほぼうりん」嘉兵衛ははじめて"共鳴"したのである。

 第四巻からは、

D「金兵衛はべつにわるい人間でないことは嘉兵衛もわかりぬいて いる。私信も薄く、節義 の感覚もある。この二つさえあれば、ほぼ 世間は渡れるのだか、ただ利口過ぎ、"その
 利口ぶりが薄い皮膚から 透けてみえる。"金兵衛は、そういう自分を決して"包もう"とは
  しな いのである。」(P10)

E「重蔵は、嘉兵衛の顔に、"潮が満ちるように"血の色があざやかに さしているのを見て
よ ろこんだ。」(P61)

F「嘉兵衛はつとめて笑顔を作っているはずなのに、涙だけが、 "ころころと頬をころがり
おちた。"これほどまでに、他の者から 遇されたのは、
幼いころからはじめてのことではあるまいか。」(P278)

このように特有の表現がたくさん有ります。 この表現が文章に躍動感を感じます。

Eを例にとっても嘉兵衛の顔が次第に赤みを帯びてくる様子が より現実味を伴って、頭の 中で再現されます。

一般的には、自然現象を上手く使って、心の表現を現しています ので、
読み手にはより具体的に登場人物を身近に感じ、 自分が主人公になったように、
本に熱中出来るのではと思いました。

 「糞ころがしが一心不乱に糞を転がすように、私は本をむさぼり 読んだ。」

 これではだめでしょうね。

 2001年1月7日

前回の表現は文章についてでしたが、同様に顔についても独特の表現を用いてその人物を特徴づけています。


以前、美千代さんが顔のことを書かれていましたが、その表現を読むと頭の中にそのイメージが何と無く描かれてきます。


@ 嘉兵衛(画像があります。クリックしてね)


 「お前は、顔の骨ばかり太うなった」鉄びんの鋳ぞこないのようだ、…・(Vol1,P40)


A 駒吉


 駒吉の木しゃもじを逆立てたように薄い顔が、肉が得意げな笑いでひき吊っているため  に、口の両端が耳元まで切れあがったように思われる。(Vol1,P85)


B サトニラ


サトニラとは世間でいうラッキョウのことで、それを逆立ちさせたように頭の鉢がひらき、顔が茎のように細く、あごまでくると拍子ぬけするように末細りにとがっていた。(Vol1,P213)

C 高橋三平


高橋にはすこし薄あばたがある。燭台の灯かりに半顔を照らされていると、鋳物でつくった顔のようである。(Vol3,P156)


あの人相はそういう大層な形相でなくて、風霜で錆朽ちた
鋳物の古仏に似ていた。(Vol3,P274)


D 最上徳内


徳内の椎茸びらきにひらいた大きな頭には、月代がなく、髪を町儒者ふうに総髪にたばね…・(Vol4,P35)

E 松平信濃守忠明


一見栗のような顔をした小柄な男で、目が聡明そうであった。(Vol4,P244)

自分の笑い顔を司馬風に表現すると、


「目は子猿がバナナを貰って嬉しそうな顔をしているようで、鼻を大きくふくらまし、小さな口をカエルのように横に開いて笑っていた。」

本当は「火星人のように笑っていた」が一番わかりやすと思うのですが。