「菜の花の沖」の作者、司馬先生は歴史考証では定評のある作者です。
それと同時に文章の表現が大変上手だと思います。
ストリーが面白いのは当然ですが、
そのうえ文に独特の表現があり それが登場人物に生き生きとした感じを与えています。
たくさん有りますが、記憶に新しい6巻より抜書きしました。
""で囲んだ部分がそうです。
@「もっとも、この期になって嘉兵衛が長思案したわけでなく 一瞬これだけの思いが"体を 吹き抜けたにすぎない。"身が軽く
なった。」(P38)
A「嘉兵衛はリコルドの喋ることばをききつづけた。 このロシア人の唇から"ころがり出るふ しぎな日本語の単語は うかうかするとシャボン玉のように空に消えてしまう"」(P65)
B「日本だけが鎖国していても、"結局押入れに頭を突っ込んで 尻だけを世界中に曝して いるようなものではないか、日本の尻は みな西洋人にわかってしまっている。"」(P100)
C「リコルドはゴローニンについての発音を幾種類も変えて 叫んでいるうちに、嘉兵衛 は"夜があけたような表情"になった。
「あっ、ほぼうりん」嘉兵衛ははじめて"共鳴"したのである。
第四巻からは、
D「金兵衛はべつにわるい人間でないことは嘉兵衛もわかりぬいて いる。私信も薄く、節義 の感覚もある。この二つさえあれば、ほぼ 世間は渡れるのだか、ただ利口過ぎ、"その
利口ぶりが薄い皮膚から 透けてみえる。"金兵衛は、そういう自分を決して"包もう"とは
しな いのである。」(P10)
E「重蔵は、嘉兵衛の顔に、"潮が満ちるように"血の色があざやかに さしているのを見て
よ ろこんだ。」(P61)
F「嘉兵衛はつとめて笑顔を作っているはずなのに、涙だけが、 "ころころと頬をころがり
おちた。"これほどまでに、他の者から 遇されたのは、
幼いころからはじめてのことではあるまいか。」(P278)
このように特有の表現がたくさん有ります。
この表現が文章に躍動感を感じます。
Eを例にとっても嘉兵衛の顔が次第に赤みを帯びてくる様子が
より現実味を伴って、頭の 中で再現されます。
一般的には、自然現象を上手く使って、心の表現を現しています ので、
読み手にはより具体的に登場人物を身近に感じ、 自分が主人公になったように、
本に熱中出来るのではと思いました。
「糞ころがしが一心不乱に糞を転がすように、私は本をむさぼり
読んだ。」
これではだめでしょうね。
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