時代背景
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嘉兵衛が活躍した時代の出来事

和暦

西暦

政治/その他

社会/生活/風俗

寛政4年

嘉兵衛24才

1792

ロシア使節ラクスマン、大黒屋三太ら

漂流民を伴い根室に来航通商を要求。

幕府、林子平を蟄居に処し、三国通覧図説、海国兵談発禁する。

寛政9年

嘉兵衛30才

1797

ロシア人エトロフ島に上陸。

富士講禁止令出る。

寛政10年

7月27日

1798

近藤重三、最上徳内ら、エトロフ島に、

「大日本恵土呂府」の標柱を建てる。

本居宣長「古事記伝」

寛政11年

嘉兵衛32才

1799

7/29

高田屋嘉兵衛エトロフ航路開設。

棟上建前の悪習禁止

寛政12年

1800

伊能忠敬、蝦夷地測量に出発。

葛飾北斎「東都名所一覧」

発刊

享和1年

7月19日

1801

百姓、町人の名字、帯刀を禁止

本居宣長死去(72)

享和2年

2月23日

1802

蝦夷奉行新設、蝦夷奉行を箱館奉行と改称

女性の華美な髪飾りを禁止。

享和3年

7月8日

1803

アメリカ船、長崎に来航し貿易要求

幕府拒絶

十返舎一九「東海道中膝栗毛」初編刊

9月

1803

イギリス船、長崎に入港。

文化1年

9月7日

1804

ロシア使節レザノフ長崎に来航通商

要求

町人の武芸習得を禁止

文化2年

1805

幕府、関東取締出役(八州周り)設置

め組の喧嘩

文化3年

1806

江戸大火、この夏網代笠

流行。

文化4年

1807

アメリカ船、長崎に入港し薪水要求

箱館奉行を廃し、松前奉行設置

滝沢馬琴、葛飾北斎画、

「椿説弓張月」刊

同上

同上

喜多川歌麿死去(54)

文化5年

1808

フェートン号事件、

近藤重三を書物奉行任命

上田秋成「肝大小心録」刊

同上

同上

間宮林蔵、松田伝十郎樺太探検の為

宗谷出発

水戸藩「大日本史」を幕府に

献上。

文化6年

1809

樺太を北蝦夷と改称

上田秋成(76)

式亭三馬「浮世風呂」を書く