「解体新書」(ターヘル・アナトミア)は杉田玄白が訳したものと思っていましたが、この本を読んで本当の翻訳者は前田良沢だとわかり驚きました。
この二人の対照的な生き方の違いが「解体新書」に名を残すか残さないかの差になって現れ、
その後の彼等の人生に大きな影響を与えたのだった。良沢は医科として人体の構造をきわめたいという気持はいだいていたが
オランダ語研究者の立場から完全な翻訳を意図した。彼は翻訳することを通して、語学力を身につけ、オランダ研究に専念しようとし、玄白はオランダ語研究などに興味は無く「解体新書」を世に出せばよかった。
玄白は良沢に「解体新書」の刊行に先立ち序文を依頼するが、良沢は“私の氏名は翻訳書に一字たりとも記載していただきたくないのでござる”ときっぱりと断った。
それで、この本の訳業の関係者の氏名は次のように
若狭
杉田玄白翼
訳同藩
中川淳庵鱗
校東都
石川玄常世通
参官医東都
桂川甫周世民 閲 としるされた。
玄白は文化十四年4月十七日、85才の長寿をまっとうする。良沢は享和三年十月十七日、80才で貧困のうちに一生を終える。
良沢の貧乏でもオランダ語一筋の生き方と、玄白の金にうるさく世渡り上手の生き方が「解体新書」の翻訳を通して比較して描かれている。
理想主義と現実主義の生き方だ、どちらの生き方も人生だ。この本は昭和四十七年(1972年)十月、「月刊エコノミスト」に連載。
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