[ ホーム ] [ 上へ ] [ 舟橋聖一 ] [ 三浦綾子 ] [ 司馬遼太郎 ] [ 三島由紀夫 ] [ 妹尾河童 ]
[ 宮本輝 ] [ 山田風太郎 ] [ 吉村昭 ] [ 何でも本箱 ] [ ダン・ブラウン ] [ 村上春樹 ]
[ 箒木蓬生 ]

 


 吉村 昭 


吉村昭(よしむら'あきら)昭和2年(1927)年、東京に生れる。

学習院大学中退41年、「星への旅」で太幸治賞、

48年、その一連のドキュメント作品により菊池寛賞、

54年、「ふおん・しいほるとの嬢」で吉川英治文学賞。

60年、「冷い夏、熱い夏」で毎日芸術賞、「破獄Jで読売文学賞、

芸術選奨文部大臣賞、

62年、芸術院賞、平成6年、「天狗争乱」で大佛次郎賞をそれぞれ受賞。

著書に「戦艦武蔵」「関東大震災」「冬の鷹」「長英逃亡」「海の祭ネし「仮釈放」

「桜田門外ノ変」「彦九郎山河」など多数がある。

 
2006年7月31日 ご冥福を祈ります。

カテーテルポート自ら引き抜いて娘に「死ぬよ」

先月膵臓(すいぞう)がんのため死去した作家の吉村昭さん(享年79)の最期は、

無用な治療を拒み自ら死を選ぶ「尊厳死」だったことが明らかになった。

24日開かれた「お別れの会」で妻で作家の津村節子さんが明かした。

 「自分の死を決めたことは、彼にとって良かったのかもしれません。でも私は、

目の前で自決する姿を看取った。あまりに勝手な人…」

 東京・日暮里のホテルで、あいさつに立った津村さんは、こう嗚咽した。

白い花に囲まれた遺影がほほえんでいる。かつて吉村さんが暮らしたという土地に

立つ会場には、友人、ファンら600人が集まった。

 吉村さんは7月31日、東京都三鷹市にある井の頭公園近くの自宅で

息を引き取った。

津村さんによると、前日の30日、点滴の管と、首の静脈に埋め込まれた薬剤などを

注入するためのカテーテルポートを自ら引き抜き、

看病していた長女に「死ぬよ」と宣言。看護師にも「もういいです」と告げたという。

息を引き取ったのは、その数時間後だった。

 昨年1月、舌がんであることが判明。今年になり膵臓への転移も見つかり、

全摘手術を受けた。「お見舞いなどで関係者に迷惑がかかる」と公表を拒み、

周囲には「肺炎」「糖尿病」など病名をごまかし続けた。

 体調がいい日には書斎にこもり、遺作「死顔」の推敲(すいこう)を繰り返した。

幕末医師佐藤泰然が、高額の薬を拒み、死を選ぶ姿が描かれている。

遺言にも、「延命治療はしない」と記していた。意識は最期まで、あったという。

 先月10日、病状が悪化。

入院し治療に望んだが好転せず、帰宅を臨んだ。24日退院。

ヒグラシの声に喜んだ。

「家にいたからこそ、自分の死を決することができた」と津村さん。

 生麦事件  赤い人  戦艦武蔵 冬の鷹 
 星の旅  敵 討  孤独な噴水