嘉兵衛の人生は波瀾万丈でした、しかしどんな苦境の時でも、
持前の不屈の闘志で乗切ります。と同時にその困難の時に手をさしのべてくれる人達がい
ました。
彼をサポートした人は、彼が菊弥と呼ばれていた頃口減らしの為、家を出なければならな
かった時は高田家の本家の当主である律蔵の口利きで、彼の母の妹、おらくの嫁ぎ先和
田屋へ住み込み奉公をすることが出来ました。
この律蔵という人は、
“律蔵さんは前世に欲という荷物を置き忘れてきたらしい”と言われほど、
人の境涯を自分のことのように同情する人物です。
洋子さんwrote
> 実家だけでは無く、嘉兵衛の周辺には、この種の誇りと
> 優しさを持つ人が多かった様な気がします。
> おじうの一件で、甚左右衛門の家に律蔵と連れだって向かう時
> 嘉兵衛は、律蔵の優しさに凍り付いていた故郷への懐かしさが
> 融け始めていく事を実感します。
>
> 【ああ、ありがたい】 【いい気持ちです】 【律蔵さんありがとう】
> 律蔵さんおおきに】 【何の礼や】 と言われて【なにもかも】
> この時の嘉兵衛の気持のなんて暖かな温もり、その後の嘉兵衛の
> 大きな支えになっている事がよく解ります。
> 勿論”海”と言う自然相手の大きな世界が嘉兵衛の生活の
> 舞台であった事も、彼を支え続けて来た大きな要因だった
> とも思います。(第二巻、P405)
>
と書いてみえますが、その通りです。
庄屋の甚左衛門の覚えがめでたいのも、おふさの父の網屋幾右衛門の
許しがでたのも、律蔵が機会あるごとに彼らに嘉兵衛の消息、近況、成功したことを
伝えていたからです。
彼の母親は言う「律蔵さんあってこそ、お前はこの村の道を歩ける」と。
極言すれば、律蔵がいたから今の嘉兵衛があると言えます。
洋子さんの書かれていた文章のくだりを本で読んだ時は胸が一杯になり、
目がうるうるしました。
私は基本的には人間性善説を信じていますから、律蔵が損得勘定無しで
嘉兵衛の為に尽くしてくれることは、小説とは判っていても本当に嬉しいことです。
次に
和田屋の主人、喜十郎と妻のおらくは少年時代から青年期の間の
彼の面倒をみます。いくら親戚とはいえ、食べ盛りの少年の世話を
して、“褌親”まで勝手出ている。彼等も又、いい人なのです。
ここで菊弥から嘉兵衛と名が変わる。
若衆宿では本村の宿に入ったばかりにいじめに遭うが、そのいじめに
端を発し、おふさ手に入れる。(本当は妻にすると言うべき所ですが、無理やり手に
入れたイメージが強いので。)
このおふさの存在が兵庫の廻船問屋でのがんばりに繋がります。
(男性は女性の為には、万難を排して火の中、水の中へでも飛込むものです。)
サニトラさん(堺屋喜兵衛)も彼に目をかけ、宝喜丸の知工に抜擢する。
宝喜丸の沖船頭、重右衛門も彼を可愛がり自分のノウハウを伝授する。
この様に、彼の人柄が好かれ、決して順風満帆とはいかないが、彼の海に対する
一途な思いが同じ船乗りとして彼を認め、引き立ててくれたのではないでしょうか。
2巻以降も新しい人物が登場しますが、人間一人では生きていけません。
周りの人々を巻き込んで生きています。
本を読んでると、自分を彼の立場に置いて、自分だったらどうするかと
考えると、自分の経験で違う選択を選びます。
右に行くか、左に行くか、それが運命の分かれ目とは、よくある話です。
自分の過去を振り返った時、あそこで別の決断をしておけばと今でも
思うことがあります。
私が映画、小説が好きなのは見ている時、読んでいる時、自分がその主人公になれる
からです。つまりいろいろな人生をヒーローで演じることが出来ます。
この本を読んでいる時、私は嘉兵衛です。
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