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 嘉兵衛はどんな人物? 嘉兵衛は何故、船乗りに 嘉兵衛のサーポーター 読後感Part2へ

菜の花の沖  

2000/10/18 嘉兵衛はどんな人物?

全巻読んでから感想文をと考えていましたが、初めに読んだ本の印象が

後から読んだ内容に影響を受けて変化していく様な気がします。

(現在3巻目、半分です。)

それは、それで良いのでしょうが、印象が変わらないうちに

一冊、一冊の読んだ内容で書いた方が面白い様な気がします。

まず、第一巻から受けた読後感を書きます。

 主人公の嘉兵衛が裸一貫から樽廻船に乗るようになるまでの

ストーリーですが、子供から大人へと成長する過程で、艱難辛苦を

乗り越えて、そこまでたどり着けたのは、

  一に、彼の性格、才能が優れていた。

   二に、節目、節目に彼を支えてくれた人がいた。

    三に、時代の流れにうまく乗る事ができた。

 まず一番目について、文中から彼の人となりを拾い出すと。

P21)で、キッキャが「岩間に入りこんでほんの金だらいほどの水面しかない

潮であった岩には、この子がつけたらしい掻き傷が幾すじもついている。」

この文章からは彼が幼少の頃より自然現象に興味を持ち、

自然から、先輩から何時も学ぼうする意欲があることを示しています。

 P68)には、「嘉兵衛はこの時期、
他人に〜手足の動きが脳の
働きとじかに結びついている
という点で…」のくだりでは、
天賦の船乗りの才能が有り。

次の頁では「この若者は七つか八つの…・」と知識の蓄積に貪欲だったことが判ります。

 P124)では、おふさに対して、「今夜、十時、舳の松の根方まで来い。」

欲しいものを手に入れる時の決断力。

(P230)の「自分の目から見ても他人の目からみても‥」と物事を客観的に見ることが出来る能力。

  P336)には、「かれには一つの癖があり、後年…・」では彼独特の地勢の分析能力。

 P348)の、「こちらが裸の人間として‥嘉兵衛の腹の中に棲みついた」

気迫、気力というか、胆力が有る。等、etc.

 これらのことを踏まえて彼の人物像を描くと、

生まれながらの船乗りにして、豪胆にして繊細、物事を

分析して理詰めで考え実行する人間像を描くことができます。

今風に言えば、情報収集、分析力があり、企画力に優れ

決断力が供わっている経営者といったところでしょうか。

 

(P395)では、「わしは、こんどの江戸ゆきで、童離れした」と言わせて、

第一巻では子供より大人になり、第二巻への興味をつないでいます。

二、三については次回へ。

 

2000/10/20  嘉兵衛のサポーター     

嘉兵衛の人生は波瀾万丈でした、しかしどんな苦境の時でも、

持前の不屈の闘志で乗切ります。と同時にその困難の時に手をさしのべてくれる人達がい

ました。

彼をサポートした人は、彼が菊弥と呼ばれていた頃口減らしの為、家を出なければならな

かった時は高田家の本家の当主である律蔵の口利きで、彼の母の妹、おらくの嫁ぎ先和

田屋へ住み込み奉公をすることが出来ました。

この律蔵という人は、

“律蔵さんは前世に欲という荷物を置き忘れてきたらしい”と言われほど、

人の境涯を自分のことのように同情する人物です。

洋子さんwrote

>  実家だけでは無く、嘉兵衛の周辺には、この種の誇りと

>  優しさを持つ人が多かった様な気がします。

>  おじうの一件で、甚左右衛門の家に律蔵と連れだって向かう時

>  嘉兵衛は、律蔵の優しさに凍り付いていた故郷への懐かしさが

>  融け始めていく事を実感します。

>  

>  【ああ、ありがたい】 【いい気持ちです】  【律蔵さんありがとう】

>  律蔵さんおおきに】  【何の礼や】  と言われて【なにもかも】

>  この時の嘉兵衛の気持のなんて暖かな温もり、その後の嘉兵衛の

>  大きな支えになっている事がよく解ります。

>  勿論”海”と言う自然相手の大きな世界が嘉兵衛の生活の

>  舞台であった事も、彼を支え続けて来た大きな要因だった

>  とも思います。(第二巻、P405)

>

と書いてみえますが、その通りです。

庄屋の甚左衛門の覚えがめでたいのも、おふさの父の網屋幾右衛門の

許しがでたのも、律蔵が機会あるごとに彼らに嘉兵衛の消息、近況、成功したことを

伝えていたからです。

彼の母親は言う「律蔵さんあってこそ、お前はこの村の道を歩ける」と。

極言すれば、律蔵がいたから今の嘉兵衛があると言えます。

洋子さんの書かれていた文章のくだりを本で読んだ時は胸が一杯になり、

目がうるうるしました。

私は基本的には人間性善説を信じていますから、律蔵が損得勘定無しで

嘉兵衛の為に尽くしてくれることは、小説とは判っていても本当に嬉しいことです。

次に

和田屋の主人、喜十郎と妻のおらくは少年時代から青年期の間の

彼の面倒をみます。いくら親戚とはいえ、食べ盛りの少年の世話を

して、“褌親”まで勝手出ている。彼等も又、いい人なのです。

ここで菊弥から嘉兵衛と名が変わる。

若衆宿では本村の宿に入ったばかりにいじめに遭うが、そのいじめに

端を発し、おふさ手に入れる。(本当は妻にすると言うべき所ですが、無理やり手に

入れたイメージが強いので。)

このおふさの存在が兵庫の廻船問屋でのがんばりに繋がります。

(男性は女性の為には、万難を排して火の中、水の中へでも飛込むものです。)

サニトラさん(堺屋喜兵衛)も彼に目をかけ、宝喜丸の知工に抜擢する。

宝喜丸の沖船頭、重右衛門も彼を可愛がり自分のノウハウを伝授する。

この様に、彼の人柄が好かれ、決して順風満帆とはいかないが、彼の海に対する

一途な思いが同じ船乗りとして彼を認め、引き立ててくれたのではないでしょうか。

2巻以降も新しい人物が登場しますが、人間一人では生きていけません。

周りの人々を巻き込んで生きています。

本を読んでると、自分を彼の立場に置いて、自分だったらどうするかと

考えると、自分の経験で違う選択を選びます。

右に行くか、左に行くか、それが運命の分かれ目とは、よくある話です。

自分の過去を振り返った時、あそこで別の決断をしておけばと今でも

思うことがあります。

私が映画、小説が好きなのは見ている時、読んでいる時、自分がその主人公になれる

からです。つまりいろいろな人生をヒーローで演じることが出来ます。

この本を読んでいる時、私は嘉兵衛です。

 

2000/10/31 嘉兵衛は何故、船乗りに    

嘉兵衛の時代は農本主義です。幕府も藩もコメをもとにした経済で

あり、江戸初期に来た西洋人も「日本ではコメが通貨のかわりになって

いる」(

P267)あり、“士農工商”と言われるように農業がこの時代の

主産業でした。

しかし、嘉兵衛の実家は水飲み百姓であり彼を養う事が出来無かった。

この為、彼は和田屋喜十郎の家へ丁稚奉公をするのだが、(これも

おかしい事に嘉兵衛自身、自発的に自分で律蔵に頼んで行っている。)

もし、百姓である父、弥吉が彼を養う生活力があれば、嘉兵衛は船に乗る事も

無かったのです。

“士農工商”と“商”が一番下に、位置するも、当時の経済が商品経済

(貨幣経済)へと移行し始めた時期でした。

諸藩は余剰米を売って藩の諸経費を賄っていたが、大阪商人から

借金をするようになり、商人の力が大きくなる要因となっています。

江戸では人口が増え、食料が不足した。幕府はコメを江戸に運ぶため、

太平洋航路(ひがしまわり)、日本海航路(にしまわり)をひらく。

このように、当時の状況が生産地と消費地を結ぶ流通が活発になりはじめました。

嘉兵衛としては、百姓で食えなければ、商売で生計を立てるよりしか、

方法は無かったのです。

このように、嘉兵衛が船乗りになり、商人としての才能を活かす時代背景が

設定されていたと思います。